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今回取材を受けて、多様性ってなんだろう、と改めて考えさせられました。それでふと思い出したのが、ゴンブリッチの「美術の歩み(新版「美術の物語」)」の序章でした。気になるところを抜粋してみます。こういう先人の言葉がたくさんあるので、当店のメニューは寡黙なのかもしれません。
素晴らしい取材と記事をありがとうございました。君島編集長、小倉様、ライターの北様に感謝申し上げます。わざわざ当店までご足労いただきましたアオキ・シェフには、様々よい刺激を頂戴しました。スタッフ一同を代表しまして、敬意と感謝を表します。(総店長)

《 これこそが美術だというものが存在するわけではない。作る人たちが存在するだけだ。大昔には、洞窟の壁に、色土でもってバイソンの絵を描いた人がいた。現代では、絵の具を買ってきて、広告板に貼るポスターを描いたりもする。人はいろんなものを作ってきたし、いまも作っている。そういう活動をみんな美術と呼ぶのなら、さしつかえはない。美術といっても、時と所によってさまざまだということを忘れてはならない。普遍的な「美術」が存在するわけではないのだ。ところが、いまや「美術」が怪物のようにのさばり、盲目的な崇拝の対象になっている。だからある画家をつかまえて、あなたの作っているものはすばらしい、でも「美術」ではない、と言ったら肝をつぶすかもかもしれない。また絵を見て楽しんでいる人に、あなたの好きなのは「美術」ではなく、なにか別のものなのだ、と言ったら面喰ってしまうだろう。
 実のところ、絵や彫刻を好きになるのはどんな理由からでもいい、と私は思っている。生まれ故郷を思い出させてくれるからという理由で、ある風景画が好きになるかもしれない。友人に似ているからというので、だれかの肖像画に心惹かれる場合もあるだろう。それで悪いという理由はどこにもない。だれでも絵を見れば、いろんなことを思い出し、そこから好き嫌いの感情も生まれる。それによって絵が楽しめるのなら問題はない。しかし、とんでもない連想から偏見が生まれ、せっかくの楽しみが台無しになってしまうこともある。山登りが嫌いだというだけで、みごとな山岳風景画から目をそむけてしまったりするのは困りものだ。そういう場合には、ちょっと考え直してみる必要がある。好きになるのは、どんな理由からでもいいけれど、嫌いになるのは、どんな理由からでもいいというわけにはいかない。 》

《 (前略)----声高な饒舌や決まり文句にわずらわされない心が必要だ。俗物根性を助長する生半可な知識を持つくらいなら、美術についてなにも知らない方がよっぽどましだ。落とし穴はすぐそこにある。たとえば、こんな人がいる。私がこの章で指摘した二、三の点だけをとらえて、なるほど偉大な美術作品のなかには、ひと目でわかる表現の美しさや正確なデッサンがまったく欠けているものもあるのかと合点し、その知識を自慢したくて、美しくも正確でもない作品だけを指して、これが好きだと言う。そんな人は、ひと目で楽しく感動的だと思える作品を好きだと告白すると、自分が無教養だと思われはしないかと、いつもびくびくしているのだ。しまいには、美術を心から楽しむことができなくなり、内心どこか反発を感じる作品ばかりを「とてもおもしろい」と評するような俗物が出来上がる。そんな誤解の責任を私はとりたくない。自分の説をそんなふうに鵜呑みにされるくらいなら、まったく信じてもらえない方がましだ。 》

《 (前略)----作品を見るとき、立ち止まってじっと見ないで、記憶をさぐって絵にふさわしいレッテルを見つけようとする。レンブラントは「キアロスクーロ」で有名だと、どこかで聞いたことがあったとしよう。すると、レンブラントの絵を見て、わけ知り顔にうなずき、「見事なキアロスクーロだ」とつぶやいて、次の絵に足を運ぶ。こういう半可通や俗物根性の危険性については、とくにはっきりと指摘しておかなければならないと思う。その誘惑に駆られない人はいないし、私の本も誘惑に手を貸しかねないからだ。私が手助けしたいのは目を開くことであって、舌が回るようにすることではない。美術について気のきいたことをいうなんて簡単である。批評家たちの使う言葉は、いろんな文脈のなかで使われるうちに、どれもこれもいい加減なものになっているからだ。そんなおしゃべりに比べると、新鮮な目で絵を見つめ、新たな発見へと乗り出すのは、ずっと骨が折れることだけれど、同時にそこからは、はるかに豊かな見返りも期待できるだろう。この旅で具体的にどんな収穫が得られるか、それを前もって言うことはできない。 》

《 (前略)----「蓼食う虫も好き好き」という諺は正しいかもしれないけれど、趣味を磨くことができるという事実に目をふさいではいけない。これまた、だれでも身近に確かめられる、ありふれた経験だ。お茶を飲みなれない人は、味のちがいがよくわからないかもしれない。しかし、そういう人でも味のちがいを楽しめるだけの時間と意志と機会をもてれば、好みの品種はこれ、調合法はこれ、と言える本物の「通」になるだろう。そして、知識がふえれば、選びぬかれたブレンドを味わう喜びも大きくなるはずだ。 》

普通、美術作品の方からは話しかけてはきません。わたしたちはゴンブリッチがいうように「美術の学習に終わりはない。つねに新しい発見がある」と信じて読解力の向上に努めてまいります。それをコーヒー作りにも役立てていきたいと思います。
2013.01.13 / Top↑
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